縞綱麻栽培場

その日あったことを適当に綴っていくよ(不定期)

ガイジかな、あれ

今日ここで綴っていくことは障害者に対して非常に差別的なものであり、万人ウケするものではない。苦手な方や不快に思った方はすぐにブラウザの戻るボタンないしは×ボタンを押されたし。










・・・さて、まじうざい偽善者共が立ち去ったところで話を進めていくとしよう。

改めて、今日私がここで綴っていくことは先天的な知的障害者(以下"ガイジ"とする)についてである。

まず、ガイジが望まれぬ子なのはいうまでもない。ガイジの親にはおかしな人が多いが、彼らとて最初からおかしかったワケではない。健やかな身体で生まれてくることを"望んで"いたからこそ、未知のものに対する本能的恐怖を捨ててまで自分の子が"普通"であるという幻覚に囚われてしまっているのだ。

それ故に彼らの一部は自らの子を"天使"と呼ぶ。我々にとっては怪物のようなものとしか受け取れないが。

ホラーや猟奇好きならリョウメンスクナというものを聞いたことがある人も多いだろう。2つの顔を持つ赤子の様な姿をした、人間として生まれられなかったなにか。(その姿については諸説ある故比較的一般的な説に基づくものを記す。)

今でこそ生まれたら即刻殺処分不可避だが、昔はそういった未知のモノに対して超自然的なスピリチュアリズムを感じる人が多かったという。もしかしたらガイジの親というのは、 自らの子を不幸な処遇を救う一縷の望みとして神と重ね合わせて見ているのかもしれない。


ここまで読んだだけでは「かわいそうな親だ」くらいにしか思わないだろう。ここからはガイジの親の害悪性について語っていく。 

ガイジの害悪性については言うまでもないだろう。

電車内でブツブツと独り言を言ったり、急に大声を上げたり、突然殴りかかってきたり、、、

その行動は多種多様予測不可能であり、天災にさえ匹敵すると私は考えている。


ここで、私がこの前実際に遭遇した天災にさえ匹敵するレベルのガイジの話をしよう。

大学から帰る途中のこと、私はいつも通り改札を通り、ホームで帰りの電車を待っていた。

電車に乗るときはまず扉の前に並び、扉が開いてもすぐには乗らず、車内の降りる人が全員降り切ってから乗る。

文章にすると長ったらしく感じるが、この一連の流れは老若男女問わず、余程のやべーやつじゃない限りは守るだろうし、容易いことだ。

だが、このとき遭遇したガイジはあろうことか列に並ぶこともせず、扉が開くのと同時に車内に侵入したのである。その様相は恐ろしいもので、火傷を負ったような肌に醜い顔(心なしかsyamu_gameに似ていた気がする)で、千鳥足のような動作で近づいて来たかと思えば開扉の動きに合わせて障子を開けるように手を動かし乗っていった。

その空間だけまるでこの世ではないような、そんな異質な感覚に包まれていた。

我に帰ると周囲の人間が悪態をついているのが聞こえた。無理もないだろう。日々の疲れに打ちひしがられる我々を差し置いて、電車の席を取っていたのだから。

そいつの方の席は空いていたが、私は座るのはやめた。


さて、これは私が実体験した紛れも無い事実であるが、一体誰が悪いのだろうか。こう問われれば、ガイジが悪いと答える人が多いかもしれない。しかし、責任があるのは誰だ、と問われれば答えが変わってくるだろう。

そう、悪いのはガイジの親である。罪状を付けるとするならば、"危険動物の放し飼い"であろう。

この世に生まれるべきではなかったガイジを社会に放出した以上、親には監督責任が生まれ、それが犯した罪については親が責任を取ることになっている。だが、その責任とは非常に些細なもので、精々罰金程度だろう。

当の本人に関しては"責任能力の欠如"によって大幅に減刑される。(私は、これによって酒飲みや薬物中毒者減刑されるのを良しとしない人間であるが、それについて語るのはまたの機会とする。)

あまりにも理不尽ではないだろうか。私はガイジのことを人間だと思っていない。というのも、人間を人間たらしめるのに必要な理性が欠如しているからである。ガイジは動物に等しい、それも人間に害を及ぼす危険な

人間未満の存在でありながら、犯した罪は軽くなる。私が体験したことはまだ生易しいどころか犯罪とすら認められていないが、これは殺人や性犯罪に関しても同様だ。"責任能力の欠如"とは便利な言葉だ。


私は、ガイジを我々が生きる社会に放つべきではないと考えている。その後のリスクが大きすぎる。

まず、親の被るリスクだ。彼らの老後の生活はどうなるのか。年金が少なくなるどころか支払われるかどうかもわからない今、誰に養ってもらうというのか。自分の子供だろう。だが、ガイジが稼げる金なんてたかが知れてる。そもそも、彼らが作ったものなんて使いたいと思わないし、食べたいと思わない。不衛生極まりない。他人の握ったおにぎりを食べることができない私にとってはハードルが高すぎる(サランラップを使っているなら可)。そして、大学には行かないといってもその後施設で身分を管理し、色々とやり繰りしてもらうのにも金がかかりすぎる。

次に、ガイジを見る周囲の目だ。あの家にガイジがいるとかあのガイジはヤバいとかいうのはすぐに広まる。 噂とは恐ろしい。偽善からくる憐れみから表では近所付き合いの体で接してくれるかもしれないが、完全に心を開いてくれることは金輪際なくなるだろう。

そして、ガイジが起こす犯罪。これは親が被るリスクではなく、社会の人間が無差別に被るリスクだ。通り魔やハイジャック、テロに合うリスクと同様に、いつ起こるかわからずその規模も予測できない。ガイジが社会に出るということは、少なからず我々の身体が危険に晒される確率が上がるということだ。

これらの解決策として最も効果的なものとして挙げられるのは、ガイジと判明したその瞬間に人権を剥奪することだ。これが一番手っ取り早いが、残念ながら今の平和希求社会では認められていない。

しかし、今や世界は21世紀最大の危機的状況に瀕していると言える。資源枯渇、食糧不足、北朝鮮の黒電話

不穏要素が蔓延するこのご時世、彼らにやるものなど何一つないのだ。

いつか害ある世界の穀潰しが社会に出てこない未来が訪れることを切に望む。